中国の民話

十五夜のお月見伝説

おはようございます。渡辺です。きょうは、十五夜のお月見の日ですね。素敵なお話をご紹介します。

今は昔、天竺において、兎・狐・猿の三匹の獣が菩薩の道を修行していました。
三匹はいつも仲良く暮らしていましたが、いつも話し合っていたことは、 自分たちは前世で犯した罪・障が重くて、いやしい獣の身に生まれた。 これは前世で生物をあわれまず、財物を惜しんで人に与えないなどの罪が深かったために、 地獄に堕ちて苦しみを受け、それでもなお報いが足りず、残りの報いとしてこのような身に生まれたのだ。

されば、今生こそ我が身を捨てて善業を重ねよう。 三匹は各自このように考え自分のことは顧みず、ひたすら他の者のために尽くそうと心がけていました。

帝釈天は彼等の行いをご覧になり、彼等は獣の身でありながら、珍しく殊勝な心がけである。 人間の身に生まれた者でも、生き物を殺し、人の財を奪い、父母を殺し、兄弟を仇敵のように思い、 笑顔の裏に悪心を隠し、 思慕の姿に怒りの心を秘めているものだ。ましてこのような獣は、まことの信心が深いとは思いがたい。

ひとつ試してみよう。そうお思いになって、たちまち老翁に姿を変えられました。
力なく疲れてよぼよぼの姿となって、三匹の獣のいるところにいらっしゃったのです。
「わしは年老い疲れ果ててどうにもならぬ。お前たち三匹でわしを養って下され。わしには子供もなく、家も貧しくて食物もない。聞けば、お前たち三匹は情深いとのことだ」

三匹の獣は、これを聞くと、 「それこそ私たちの本来の志です。さっそく養ってあげましょう」と言って、 まず猿は木に登って、栗・柿・梨などを取って来て好きな物を食べさせました。
狐は墓小屋に行って、人が供えた餅やまぜ飯、鮑や鰹などさまざまの魚類をくすねて来て、 思うがままに食べさせたので、老人はすっかり満腹しました。こうして数日が過ぎました。

老人は、 「お前たち二匹は実に慈悲深い。これはもう菩薩といってよい」と誉めます。 これを開いた兎は一所懸命になって、東西南北を求め歩いたが、なに一つ求め得たものはありませんでした。

兎は考えました。自分はあの老人を養おうと思って野山を歩いたが、野山は恐ろしくてならない。 人間に殺されたり、獣に喰われたりして、不本意にも空しく命を失ってしまうのが関の山だ。 いっそのこと今この身を捨てて、あの老人に食べてもらって、 永久に生死輪廻の世界を離脱することにしよう。
そう考えた兎は、老人のところに行って言いました。

「私はこれから出かけて、おいしい物を求めて参ります。木を拾って火をたいて待っていて下さい」 そこで、猿は木を拾って来、狐は火を取っ来てたきつけて、ひょっとすると何か取って 来るかもしれないと思って待っていると、兎は手ぶらで帰って来ました。

猿と狐はそれを見て、 「お前は何を持って来たというのか。思っていたとおりだ。うそをついて人をだまし、 木を拾わせ、火をたかせて、それでお前があたたまろうというのだろう。憎らしい」と言います。すると、兎は、「私には食物を求めて来る力がありません。ですから、どうぞ私の身体を焼いて食べて下さい」と言うなり、 火の中に飛び込んで焼け死んでしまいました。

その時、帝釈天はもとの姿に戻って、この兎が火の中に飛び込んだ姿を月の中に移し、あまねく一切の衆生に見せるために、月の中にとどめ置かれました。

「されば、月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎が火に焼けた煙である。 また、月の中に兎がいるというのは、この兎の姿である。 誰も皆、月を見るたびに、この兎のことを思い浮べるがよい。」(2007/09/25) 【参照】今昔物語 

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